やんちゃな高校生が数年後には社長に |
「私は元々、静岡県富士市の工業高校を出ましたが、当時は就職試験を受けてまで就職したくないと考えていました。しかし、遊んでいるわけにもいかず、ちょうど叔父が相模原で土木業を営んでいたので、そこを頼って上京しました」と桑原社長は自身が現在の仕事に就くまでの経緯を話し始めた。
叔父の会社で5年くらい勤めたが、倒産してしまい従業員で新会社を立ち上げて取締役として働いていた。
「25歳で結婚したのですが、岳父が相模原市内で兄弟(叔父)と二幸製作所という板金業を営んでおり、『やってみないか』と誘われました。『社長ならやる』と言うとそれが通り、1996年に叔父の工場の一隅で岳父ともう1人の仲間とで板金・製缶を主とする共伸テクニカルを創業しました」。若さとガッツのある熱い心が生み出した会社創業のエピソードである。
桑原社長は板金加工業は設備投資が必要な業界と認識していた。しかし、創業当時はまだ設備らしい設備は何もなく、あるのはアセチレンガスや溶接機くらい。この仕事を始めてすぐに図面を読めたことが「やれるんじゃないか」と自信を持つきっかけとなった。二幸製作所の社長からバックアップしてもらいながら、岳父の指導により、なんとか仕事をこなしていく。製品を製作するにも二幸製作所の仕事が終わった後に機械を借りて加工した。機械がないために鉄板の切断はガスで切断するしかなく、溶接の仕事は機械が要らないため非常にありがたかった。殆どを手作業で製作していたために生産性が悪く、利益は出ない。客先の指定で錆止め塗装を行わなくてはならず、仕事が終わったあとに40坪ほどの工場内にブルーシートをかけ、塗装作業を行い、帰りはいつも夜中だった。3年くらいは「やってもやっても赤字続きで、義父と私自身の給料は3カ月に1回くらいしか貰う事ができず、義父がもう辞めようか」と弱音を吐くこともあった。
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▲桑原俊也社長 |
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アマダのレーザがターニングポイント |
▲会社の業態を変えたレーザマシンLC-2415αV+LMP-2412α |
その頃、工場にはちょくちょくアマダの営業マンが訪ねてきていて、手作業では限界があると感じていた桑原社長は「レーザマシンの出物があったら気を付けておいて」と頼んでいた。2年後の1999年に「レーザマシンLC-2415αV+LMP-2412αの中古が出た」という報せが入り、大喜びで導入した。
「これが大きな転機でした。5'×10'タイプのαだったので大板にも対応でき、お客さまが付くようになりました。扱うモノは薄板でも中板でもOK、どんな大きさの製品でもやりましたが、マシンが大きいので小さいモノはコスト負けすることがあります。今は多品種少量になり、ロットは1〜5個くらいがほとんど。新規8割、リピート2割くらいですが、新規品はリスクが高い。リピート品は小さな失敗であれば次で取り戻せます。今でもやはりリピートの仕事はほしい」。
リーマンショックで仕事は落ち込んだが、この春以降からは徐々に回復基調に乗ってきている。得意先は約40社で、そのうち主力は4社くらいだが、リスクを嫌って同じ業種に偏在するのは努めて避けている。
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工場内ネットワークの推進 |
▲新規品の80%は桑原社長が自らプログラムを作成する |
▲受注処理はWILL受注・出荷モジュール+M |
「アマダのAP100を入れて、間違いのないモノづくりができるようになってきました。AP100に続き、加工データがそのまま使えるネットワーク対応ベンディングマシンFBDV-1253NTを導入しました。FBDを入れて事務所と現場が繋がると、作業者の手元に立体姿図が表示されて、迷うことなく作業が進められる。あのスピードと効率は素晴らしい。IT化が進み、当社のような小さな板金工場でもデジタル化は当然、という時代になってきました。受注・出荷の管理にWILL受注・出荷モジュール+Mを導入したきっかけは、ある得意先の単価が気付くと下がっている。伝票を掘り起こし確認すると、以前の半額になっている製品が多数あることに気が付いた。これはきっちりとした原価管理、生産管理をしなければならないと思い、WILL受注・出荷モジュール+Mを導入しました。それから時を経ずしてWILLの工程進捗管理も導入しました。それまでは、お客さまから『この品物はどうなっている』と問い合わせを受けるたびに『この図面はあるか、今、どうなっている』と工場の中を探し回っていました。工場も広くなっていた頃で、工場の中を3階まで駆け上ったり駆け下りたりと、探すというムダな工数が半端ではありませんでした。そこで、『バーコードでスキャンすれば一発で、どこの工程にあるのかが分かればずいぶん楽になる』と考えました。現在は着手・完了の“完了”しか管理していませんが、ゆくゆくは“着手”も管理して各工程の負荷を掴み、負荷の平準化まで入り込みたい。今は女性社員が手作業でおおまかな工数から原価計算をやっています。この部分も改善していきたい」と次の目標も掲げている。
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最初のホームページ公開 |
▲製品例 |
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「リーマンショック後、仕事が減ったことで、もっと他のツールを使って営業の窓口を広げたいと考え、ホームページを公開することを計画しました。最初は単なる会社の宣伝だけでしたが、それではなかなか仕事に結び付かないので、昨年リニューアルしました。構成は社内で考え、デザインはwebデザイナーに委嘱しました。私は相模原市の商工会議所の工業部会下部組織である相模原市青年工業経営研究会に所属しているのですが、営業戦略に関する研修会で児玉充晴先生と出会い、中部大学で行われるSMPに参加した中で小坂裕司先生の講義で、『売上げは企業がつくれる』という話を聞く機会がありました。ヒトがモノを買う時、2つのハードルがあり、1つは欲しいという気持ち、もう1つは買えるかどうかの懐具合、それさえ越えられれば購入に繋がる―という考え方です。その指摘が私の心を掴み、さっそく本を数冊買って読み漁りました。そして思い当たりました。当社のホームページではお客さまが当社に発注したいという気を起こさせてはいない、なんとかしなければいけない。当社の本当の価値を知ってもらうにはどうすれば良いか。当社しかできない加工、当社しか実現できない納期などを広く開示して、興味を持ってもらえれば、当社を使っていただけるのではないだろうか。そんな考えからホームページをリニューアルし、昨年9月からはアクセス数を増やすためにブログも載せています。ホームページは絶えず更新して、リピートで覗きに来てもらえるように工夫しています」。
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目的意識のベクトルが合った |
▲追従装置を付けたHDS-1703NT |
ホームページの構成を社員たちと考える作業中、桑原社長は、この会社をどのような方向へ向けていきたいか、これからはどういうお客さまを掴んでいきたいか、熱く語った。
「社員たちとのディスカッションを重ねることで相互の理解が深まり、“意思の統一”というおまけが付いてきた」と社長は嬉しそうに付け加えた。「製品実績は営業担当が管理してアップしています。これからの課題は、全従業員がブログを書いてくれるようになることです」。
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YouTubeで行こう |
▲2台のベンディングマシンはネットワーク経由でSDDから立体姿図を呼び出して活用 |
最初のホームページにはサーバーをレンタルして工場紹介の動画を載せていたが、YouTubeというインターネット上の動画共有サービスがあることを知って、これを利用すればサーバーは必要なく経費削減になると考えた。さらに、先にYouTubeで動画を見たヒトが同社のホームページを見に来てくれるという相乗効果も期待できる。まさに一石二鳥だ、と感じた。
「これまでのホームページでは写真が主流でしたが、今は動画の時代になりました。動画の方が、より正確にお客さまに伝わります」。
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会社の進む方向は |
「社員自身が自分の給与を決められるようにしていきたい。時代は“情報社会”ではなくすでに“知識社会”に入っている。そのことを会社としてしっかり考えていかないと、これからの社会では存続できないと考えています。言われた事をやらないのは論外で、言われたことをやっているだけの社員では役にたちません。個々がしっかりと物事の本質を理解し判断して行動する事が必要だと思います。今期の実績を踏まえ、来期の予算をみんなで考えて組むことができれば、社員も自分の給与はどれくらいに上がる、と予想する事ができモチベーションも上がってくるのではないでしょうか」。
この4月に相模原市は政令指定都市になった。圏央道・リニアモーターカーなどの開通によりアクセス面でもますます恵まれた地域になる。
そのエリアで“情報”を武器に、社員たちと実りある大きな地図を完成させようとしている。
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