著名者インタビュー | |
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| 2001/2 |
製造業から創造業へ〜21世紀のモノづくりの行方
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早稲田大学 アジア太平洋研究センター教授 中根 甚一郎(なかね じんいちろう)氏 |
早稲田大学アジア太平洋研究センター教授兼同大学大学院アジア太平洋研究科教授。 早稲田大学大学院工学研究科博士課程修了。 同大学生産研究所助教授、システム科学研究所教授を経て現職に。 米オレゴン連合経営大学院客員教授および米ボストン大学客員研究員を兼任。専門分野はオペレーションズ・マネジメント、システム設計。 主な著書に「総合化MRシステム」(日刊工業新聞社)「ヒューマン・ウエアの生産システム革新」(白桃書房)「マスカスタマイゼーションを実現するBTO生産システム」(日刊工業新聞社)など。 |
製造業から創造業へ〜21世紀のモノづくりの行方 |
20世紀の最後の10年、世の中は凄まじい勢いで変転しました。バブル崩壊を契機とする急速な景気の冷え込み、消費者主導によるプル型市場の形成、グローバリゼーションの進展にともなう市場のボーダレス化、インターネットの爆発的な普及による新たな事業モデルの創出等々、かつて経験したことのない時代のうねりが一気に日本を呑み込み、マーケット構造は大きく転換、国境の垣根を超えた企業間競争は激烈の一途をたどることとなったのです。まさにメガ・コンペティションの時代、大企業といえども劇的な変革なしには21世紀には生き残れない状況へと突入したといえます。 モノづくりの世界も例外ではありません。従来の既成概念は捨て去り、市場構造の変化を敏感に察知しながら、大胆に体質転換することが求められているのです。そこで今回は新世紀の幕開けという大きな節目に当たり、これからの製造業が目指すべき道はどうあるべきかを考えてみます。
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バブル期まで順風満帆だった日本の産業界 |
いまからおよそ35年前の1964年、東京オリンピックの年に日本の製造業をどういう方向に持っていくかという目的から、日本の代表的なメーカーや識者らが集まって生産システム開発研究会という任意の団体を結成しました。高度成長期に突入していたとはいえ、当時、日本の製造業における生産性は全般的に見てまだ、欧米先進国の5分の1ほどにしか過ぎませんでした。そこで研究会では発足当初は欧米、特に米国の先進的な生産管理技術を移入し、日本の産業のなかに根づかせようということに力を注いだのです。 以来、大量生産方式を主体とする米国の技術を貪欲に吸収した日本の製造業は高度成長を支える屋台骨として目覚ましい勢いで発展、やがて管理技術も米国に追いつくまでに進歩しました。それで73年のオイルショックを境に、米国から取り入れるだけでなく、日本からも提供するという具合に、技術の相互交流が活発化していきました。さらに80年代に入ってからは立場が逆転、日本のモノづくりの技術のほうが米国に多く移転されることとなるのです。研究会もそのサポートで奔走することになります。まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がもてはやされていた時代、米国の権威が失墜するなかで日本は独りわが世の春を謳歌していたといえるでしょう。 85年のプラザ合意後に懸念された円高不況も難なく乗り切ることで、80年代後半に移ってからも日本の製造業の優位は揺るがず、その後間もなく訪れた未曾有のバブル景気に酔いしれることになります。大量生産大量消費のピーク、モノをつくれば売れる時代でした。出発当初はわずか10社ばかりだった生産システム研究会のメンバーも、この頃になると100社以上に増加、産業界のリーディングカンパニーのほとんどが名を連ねる結果となったのです。
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顧客視点を欠いたモノづくりが 失敗の原因 |
しかし順風満帆に見えた日本経済も90年代に入って急転直下、どん底にたたき落とされることになります。右肩上がりの成長も終焉を迎え、市場構造もメーカー主導から顧客主導へ180度転換することとなります。勢い、消費は急速に冷え込んでいきました。追い討ちをかけるように、グローバル経済やIT革命の波状攻撃です。市場を巡る企業間競争はますますドラスチックに展開されるようになりました。このような目まぐるしい環境変化に、日本の製造業はついていけず、それまでの勢いも急速にそがれてしまったのです。21世紀を迎えた現在も、本格的な復活にはほど遠い状況といえるでしょう。 生産システム研究会も一時は展望を描けずに休眠状態に陥りましたが、冷静に現状を把握しようということで一部のメンバーが活動を再開し、いま一度製造業の原点に戻って考え直そうと新たな議論を始めたのです。 議論百出し、一つの結論として出てきたのが20世紀の製造業は顧客に対して「製品」は供給していたが、「商品」は提供していなかったということでした。「製品」とはメーカー主導のプロダクトアウトの考えに基づいてつくられたモノで、「商品」とは顧客のニーズを満たすためにつくられたモノということです。要するにこれまでは顧客視点に立ったモノづくりがなされていなかったという結論に達したわけです。
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「製品」と「商品」とのギャップを埋める創造業 |
例えば、パソコン。ハード、ソフトによっても違いますが、さまざまな機能が付加されています。優に100以上はあるでしょう。しかしそれをすべて使いこなしているユーザーはどれだけいるか、甚だ疑問といえます。当大学の理工学部の大学院生にアンケートをとってみたところ、自分の保有しているパソコンの機能のうち、実際に使っているのは1割にも満たないという結果が出たほどです。また初心者にとっては特に鼻につく不親切なマニュアル。あれではせっかくパソコンを購入しても熱心なユーザーでなければ、途中で放り投げて結局は死蔵してしまうのが落ちでしょう。
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供給側と顧客が一体となる仕組みを構築することが肝心 |
現在では創造業フォーラムの活動も本格化
、創造業のあり方を具体的に検討しています。そのなかで一つの方向性として見えてきたのは、供給者サイドと顧客が離れたままでは従来と変わらないモノづくりが展開されるだろうということでした。離れたままで顧客のニーズを探ろうとしてもそれは無理なことなのです。 そこで出てきたのは“自他分離から自他非分離”への転換という発想でした。すなわち、供給側と顧客が一体となったモノづくりの仕組みを構築するということです。お互いが一体となる、ある種の場を設定して情報交換あるいは共通の体験をしながら、相互理解を深めていくというような枠組みをつくることが肝心であるとの結論に達したのです。一種のコラボレーション型として、その中から顧客の真のニーズをつかんでいこうということなのです。 このアイデアに基づいて現在いくつかのプロジェクトが進行しています。例えばある中堅の産業機器メーカーでは基本性能の部分のみを自社でつくり、その基本性能をいかに使いやすくカスタマイズ化するかについては顧客である自動車メーカーや電機メーカーとチームを組んで研究開発しています。それもいきなり機器づくりそのものから着手するのではなく、機器を組み込んだシステムを効率よく稼働させるための環境づくりという、より大所高所に立ったところから検討するようにしているのです。 いわば部分最適でなく全体最適という視点から物事をとらえようとしているといえます。そのほうが潜在化してなかなか見えにくかったニーズも含めて顧客が本当に求めているものは何かを把握しやすいし、ビジネスとしての広がりも出てくるからです。
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製造業の新たな形づくりに期待される中小の役割 |
このような動きを見ても分かるとおり、製造業は創造業として新たな一歩を踏み出す時期にさしかかってきているのです。現在の閉塞感を払拭するうえでも、重要な第一ステップといえます。そして製造業が本格的に創造業に転換していくためには、中小製造業がその中心的な役割を担っていく必要があるといっても過言ではないでしょう。
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