著名者インタビュー | |
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| 2002/2 |
激動期こそ人材育成のチャンス
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組織経営アドバイザー 斎藤之幸 |
昭和15年生。明治大学卒。大手企業の人事労務を担当し、昭和51年にマネジメントアドバイザー兼社会保険労務士として独立。 著書は「10人までの人使い100のポイント」(日本実業出版社)、「駆け引きの発想」(講談社)、「先人に学ぶ指示指導のカンドコロ」(日経連)、「部下を育てて自分を伸ばす」(講談社)、「部下は上司を見て育つ」(講談社)、「よい転職、わるい転職」(日本能率協会)など多数。 |
激動期こそ人材育成のチャンス |
人材育成は、長い間中小企業のアキレス腱でした。金がない、暇がない、育成してもどうせすぐに辞めてゆく、と、人を育てることには始めから消極的なところが多かった。それは、中から小、零細へと規模が小さくなるほどその傾向が強くなります。 しかし、そのような中小企業経営者を尻目に、ほんの一握りであっても人材育成の何たるかを理解した経営者の会社は確実に成長していきました。企業世界の動きを見ているといつもそうです。特に今は未曾有の激動期、人材育成が生き残りのキーポイントになっています。
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低成長期こそ人が金を生む |
低成長時代、国際化・グローバル化時代といわれ、理屈ではそれがわかっていても、では相応の人材育成をとなると、再び金がない、暇がない、育成してもどうせ……といった気持ちが前に出てしまうものです。でも、ここが正念場です。金が金を生むのではありません。人が金を生むのです。金のことしか頭にない経営者が消えるのもまた、単純な結果です。高度成長期でも低成長期でもこの理屈に変わりはありませんが、低成長期のこれからはその傾向がさらに顕著になるでしょう。 以前、ある著名な経営者がこんなことをいっていました。 「みんな経営で成功するのは大変なことだという。たしかに技術の問題や販路の問題、役所対策など大変なことは多いが、肝心の組織拡大については少しも大変じゃなかった。人を大事にすればそれでよかった。ほとんどの経営者が人より金を大事にするから、そんな方が大勢いる限り安心して拡大できた」と。 すなわち、真の経営才能とは金儲けの能力ではないのです。組織を創りそれを大きく育てられる能力のことです。組織を育てるとは人間を育てるということで、人間を育てるとは凡才を秀才に仕上げ、だらけ人間をやる気人間に変身させて、常勝軍団を作り上げられる才能のことです。人に期待し人を育て、人に前進する勇気と将来への夢を与えられた経営者のみが、勝ち組になるということなのです。これからの時代に勝利する第一は、何といっても人材育成なのです。
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優秀な人材を求めるな、組織相応でよい。 |
では、どうしたらよいのでしょうか。幕末の激動期に、西郷はじめ多くの維新の傑物たちに多大な影響を与えた陽明学の大御所に、佐藤一斎という人がいました。その一斎が多くの藩からの要請で示した『重職心得箇条』の第二条に、「組織相応」という言葉があります。 要約すると、「組織に不相応な優秀な人材はなかなか集まらないものだが、組織に相応の人材なら簡単に集まるもの。それでよい。集まった組織相応の人材を逸材に育てるのが重職の役目、彼らが逸材に育つその過程がそのまま組織の安定と発展につながる」というのです。 ある大手製造業の社長さんはいっています。“会社が小さかったころは優秀な人は来てくれませんでした。たまに来たと思うと直ぐ辞める。そして鈍才かなと思う人ばかりが残るんです。しかし何年かするうちに組織が大きくなるとその人たちが見違えるような変身を遂げて優秀な人材に育ってくれるんです。”と。 もう一人、ある巨大スーパー創業者の弟さんで、自ら興した会社を結局だめにしてしまった人もこういっています。“経営はやっぱり人材でした。会社が小さいころに入った者たちは大きくなっていくに従ってだめになるんです。優秀な人材をそろえなければだめです”と。 この二人の違いはいったい何なのでしょう。
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すべての原因はリーダーにあり |
双方とも経営は人材、の大原則はわかっていたようですが、その解釈の仕方が根本から異なっています。 一方は、組織相応の理論で集まった人材たちを教育し指導して自らの手で育て、大企業でも立派に通用する、いやそれ以上の人材に変身させているのに対し、もう一方は組織相応の人材に不満だらけ、自身で育てようともせず無い物ねだりで優秀な人材を渇望するだけです。 これでは結果ははじめから見えているようなものです。そのうえ、後者のようなリーダーではおそらくリーダーとしての魅力にも乏しかったと思います。部下社員を劣等視し、蔑視するようなリーダーに心からやる気を出して従う者がいるとしたら、太陽が西から上がっても不思議ではないでしょう。 今回のテーマはリーダー論ではないため詳細は省略しますが、部下社員にやる気がないのも育たないのも不平不満だらけなのも原因はリーダーにあります。「うちの社員は」と嘆くことはそっくりそのまま、自分がいかに駄目なリーダーであり、経営者であるかを公言したことになる、ということを頭に入れておいた方がよいでしょう。それが身にしみて分かるようでないと、いくら頑張っても、いや頑張れば頑張るほど後者の轍を踏むことになります。
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青い鳥は身近にいる |
多くの中小企業経営者が痛い目にあって相談に来る事例に、こんなことがあります。 「人材銀行などから、大企業などでそれなりの地位にあった優秀な人材を紹介してもらい、喜んで採用したのはいいが、1年もするかしないうちにかえってマイナスの効果が現れ始め、大きな傷を残して結局本人は退職。修復に多大なエネルギーを費やす羽目になった」といった事例です。 もちろん真に優秀な人材ならこんなことはないと思います。が、知識や技術は優秀でも人物が優秀でない人材にあたったとき、えてしてこんな結果になることが多いのです。こんなときは、当人がおとなしい者だと周囲から無視されたり部下が従わなかったりで、次第に浮き上がってくるし、反対に元気な者だと組織を引っ掻き回し、いらざる波風を起こしてとんでもないことになりがちです。 まずは、組織相応でよいのです。青い鳥は身近にいます。無理をして優秀な人物を探す暇があったら、身近な青い鳥の教育と指導に総てのエネルギーを注ぎ込むことです。注ぎ込んで育てた人材とともに組織も大きくなるころには、またそれに相応の人材が入って来ます。幸い、人材の流動化が著しい昨今です。さらに彼らを育てて人間と組織が大きくなれば、再び組織に相応な人材が集まって来るものです。
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時代は男の時代へ |
時代は、女の時代と男の時代が交互に繰り返されて進むものだといわれています。 女が強い時代と男が強い時代というのではありません。“女の時代”とは優しさとか愛とか福祉とか平和とか、そういうことが大切にされる時代であり、“男の時代”とは勇気とか努力とかチャレンジとか根性とか、そういうことにスポットが当てられる時代ということです。いいかえれば、「女の時代は穏やかで安定した時代だが、停滞の時代でもある。男の時代は荒々しく激しい時代だが、発展の時代でもある」ということです。 今はまさに激動期といってよいでしょう。少なくとも経済社会においてはそうです。激動期は“男の時代”です。 ですが、何故か日本の社会は“女の時代”です。平等が善で、競争は悪とされています。優しさが総てに優先し、勝敗へのチャレンジ精神には後ろ指が指される傾向にあります。 しかし、そんな流れにもようやく変化の兆しが見え始めています。忌まわしい事件ながらあのニューヨークの出来事と、対する米国の果敢な行動が世界の流れを、そして日本の流れをも変えてゆくように思えます。 まだまだ結論が見える段階ではありませんが、長かった“女の時代”にもようやく転換期が訪れ、“男の時代”に入ろうとしているように見えます。 良きにつけ悪しきにつけ、競争はますます激しくなるでしょう。中小企業も変わらなくてはなりません。安穏と手をこまねいているときではないのです。今すぐ対策を講ずる時です。何をどうするかの対策ではなく、人材育成をどうするかの対策です。時間と費用を渋り、自ら育成する努力を怠る経営者に明日はないと知るべきでしょう。
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