著名者インタビュー | |
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| 2001/8 |
大きな可能性を秘めた中国市場は今。
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愛知大学 現代中国学部教授 今井 理之氏(いまいさとし)氏 |
1940年岐阜県生まれ。1963年東京外国語大学卒業後、日本貿易振興会(ジェトロ)入会。ジェトロソウル駐在員、日中経済協会北京駐在員、ジェトロ海外調査部中国・北アジアチームリーダー、ジェトロ北京事務所長、ジェトロ主任調査研究員を経て、1997年4月から愛知大学現代中国学部教授。 著書に「対中投資―投資環境と合弁企業ケーススタディ」(日本貿易振興会)「ビジネスガイド 中国」(日本貿易振興会)「中国経済Q&A100」(亜紀書房)「最新ガイド中国経済」(日本経済新聞社)「中国経済がわかる事典」(日本実業出版社)など多数。 |
大きな可能性を秘めた中国市場は今。 |
国際化の進展に伴って、商品の生産・販売を自国だけで考えるというクローズ型の市場経済は過去のものとなり、グローバルな視点に基づいた生産・販売・流通体制を考えないと厳しい競争社会を生き残れない時代がやってきました。 戦後、工業製品の輸出によって日本経済を支えてきた日本の企業ですが、1980年代後半から生産拠点の海外移転が積極的になり、海外戦略の重要性がいっそう高まっています。さらに、「21世紀はアジアの時代」とも言われ、日本企業はもちろん、欧米企業もアジア市場を有望視しています。中でも、人口12億人を超す中華人民共和国(以下:中国)は生産拠点としても、消費マーケットとしても注目される存在です。 そこで、今回は「大きな可能性を秘めた中国市場は今」をテーマに、日本企業の中国戦略の現状と将来性についてお話しましょう。
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大手企業の本格的な中国進出は1992年から |
日本の大企業が中国に大挙して進出するようになったのは1992年以降のことです。1980年代には愛知県一宮市に本社を置く繊維メーカーの冨田(株)が日中合弁会社を設立したり、千葉県松戸市に本社を置くマブチモーター(株)が工場を設立するなど、繊維メーカーや電子部品メーカーの中堅・中小企業が進出していました。大手企業も少しずつ中国での生産を始めていましたが、1980年代はまだ数が少なく、小規模なものが大部分でした。たとえば、中国で積極的な展開をしている松下グループでも、1980年代にはテレビのブラウン管製造工場が1つあっただけですが、現在は合弁企業や単独投資企業を37社持つまでになっています。
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中国の経済環境は少し足踏みが続く。 |
改革・開放の進展と日本を始めとする外国企業の進出によって順調に伸びてきた中国経済ですが、1997年7月以降のアジアの通貨・金融危機の影響や中国国内の消費需要・投資需要の低下により、1998年、1999年と低迷が続きました。1998年は経済成長目標を8%としていたにも関わらず、実際には7.8%にしかなりませんでした。平時において、中国の経済成長率が目標を下回るというのは、異常事態といえるでしょう。1999年は経済成長目標を7%に抑えたこともあり、かろうじて7.1%と目標をクリアしましたが、1990年代前半には経済成長率が10%を超えていたことを考えると、伸び続けてきた中国経済にも陰りが見られます。2000年は8%の成長で、1993年以来7年続いていた長期後退を脱しましたが、今年はまた7%台に後退しそうです。
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製造業にとどまらず、商業やサービス業も進出。 |
1980年代は生産コストの安い中国の拠点で生産した繊維製品や電子部品などを日本などに持ってくるという、いわば「輸出用生産拠点」の性格を持っていました。しかし、1990年代に入って中国の消費水準が高まり、中国の生産拠点でも中国市場向けの製品を生産するのが主流になってきました。また、1992年頃に中国政府が業種規制を緩和し、製造業に限らず、サービス業や金融業など、幅広い分野で外国資本の参入を認めたため、海外資本の百貨店、スーパー、コンビニなどの小売業や銀行、その他のサービス業などが続々と進出しています。かつては人民服姿ばかりだったファッションも、最近の都市部では欧米諸国と変わらないファッションに身を包む人が増えています。また、かつては大量の自転車が道路を走っていた光景が中国を象徴していましたが、最近は自動車の台数が急速に増え、重慶で生産しているスズキのアルトや、天津でダイハツの技術協力によって生産しているシャレードなどを数多く見かけます。さらに、1999年にはホンダが広州でアコードの生産を開始し、トヨタも近い将来天津で完成車の生産を開始する予定になっているなど、自動車産業を始めとして、12億人を超す巨大市場をターゲットにした日本企業の生産・販売体制が強化されていくことは確実でしょう。自動車の生産工場ができれば、部品メーカーも進出する必要があり、中国市場に向けた製品の生産を増やすことは、日本企業の中国進出をさらに加速させるものと予想されます。
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中国のWTO加盟でビジネスチャンスが広がる |
そして、さらに大きな影響を与えると思われるのが、中国のWTO加盟問題です。1986年にWTOの前身であるガット(関税と貿易に関する一般協定)に加盟の申請をしたのですが、中国の貿易経済制度がガット規定に合わず、米国・EUなどとの交渉が長引いて、ガットへの加盟が許されませんでした。しかし、1999年11月に米中二国間交渉が合意を見、2000年5月には中国が市場開放する見返りに恒久的最恵国待遇を与えることをアメリカ議会が可決し、EU(欧州連合)との交渉も妥結したことで中国のWTO加盟の障壁がクリアされ、2001年11月のWTO閣僚会議で中国のWTO加盟承認がほぼ確実になってきました。
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国情の違いや商慣行の違いに注意したい。 |
このように、中国はビジネスチャンスにあふれた市場といえますが、日本とは国情も商慣行も異なることを忘れてはいけません。実際、中国政府は状況の変化によって政策を頻繁に変えています。たとえば、投資の際の機械設備導入では関税を免除していたのですが、1996年には関税免除を廃止し、1998年に再び免除するというように、短期間で何度も変えているのです。また、合弁企業を設立しても、自分たちの技術力に自信がついたら、中国側に主導権を取られてしまうケースがあります。そうした事態を防ぐには、パートナー選びをより慎重にするか、または単独で投資をする方がリスクが少ないでしょう。
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